
第2期:JIA理事会 (2004年9月–2005年3月)
JIAの設立後、その設立準備委員会だったChildish CommitteeはJIA理事会として2004年9月に発足し、JIAの意思決定機関と執行機関を兼ねることなった。
JIA理事会の設立
2004年11月、JIA理事会はJIAの会則を制定する。その中でJIA理事会については以下のように定めている:
第3章 JIA理事会
第12条 JIA理事会はJIAとそのすべての活動に対して責任を持つ。
第13条 JIA理事会は2004年8月第1回ワークキャンプ国際ネットワーク会議を開催したメンバー(中国、韓国、日本)からなる。このメンバーは同会議において、参加者のディスカッションの結論としてJIAの設立を宣言した。これらのメンバーは、JIAと中国でのワークキャンプが安定的に運営されるまで暫定的にJIA理事会を構成する。
第14条 JIA理事会の機能
a. JIAのプロジェクトと日常業務に関する意思決定とその執行
b. 会則の制定と修正、調整
c. JIA理事会のメンバーとJIAスタッフの増員:JIA理事会の3分の2の賛成によって意思決定がなされる(理事は11名以下)
d. 各地域委員会の活動の最終的な責任をとること
e. HANDAのワークキャンプ部門としてのHANDAとの合意を履行すること
JIA理事会の理事は、カン=サンミン、ツァイ=ハン、フォン=ハオイン、G.Y.ワン、ツァイ=ジエシャン、原田燎太郎とChildish Committee当時のメンバーに加え、吉田亮輔(FIWC関東委員会)とペニー=リー(曁南大学)が新しく入る。
方針
JIAはハンセン病快復者やその家族を含めた世界がひとつの家族になることを目指す。ワークキャンプを通して、学生、地元の人々やNGO、個人、高齢者などさまざまな背景をもった参加者がひとつの家族のようになり、それはワークキャンプ後もつづいていく。このようなワークキャンプの連続により、世界はひとつの家族となる。
目的を達成する方法
i. ハンセン病の科学的な知識の普及:
ワークキャンプへの参加者を集めるため、JIAはワークキャンプとハンセン病の科学的な知識に関するPR活動を行う。
ii. ハンセン病快復村の生活条件の改善:
JIAは家屋やトイレの建設、水道設置などの建設をハンセン病快復村で行う。
iii. 相互に学び合う:
キャンパーが1-3週間村に滞在する間、キャンパーと村人とはお互いを個人的に知り合うようになり、これまでの人生で体験したことのないことをお互いに学び合う。
iv. 隔離村を社会に開く:
ワークキャンプは人の往来をハンセン病快復村に生む。次第に、社会の人々が快復村を訪れることは自然なこととなる。地域の慈善団体なども村の存在を知り、サポートするようになる。
v. 人と人とのツナガリ:
こうしてワークキャンプはハンセン病快復者、その家族、キャンパーとの間に人と人との間にツナガリを生み出す。
vi. ハンセン病差別の消滅:
次第にハンセン病への差別は減少し、半隔離の村々は社会に開かれていく。
vii. 継続性:
中国の人々が自立的に活動できるように、彼らがワークキャンプ団体を設立することをサポートする。
viii. 中国のすべてのハンセン病快復村をカバーすること:
中国には625の村がある。JIAはそれらすべてのハンセン病快復村でワークキャンプを開催する。JIAは快復村の調査を行い、それを様々な団体に紹介し、一つひとつの団体が村に関わり続けるようにする。
ix. 自立性:
同時にJIAはキャンパーと村人がお互いに刺激しあい、心理的、社会的、経済的に自立できるようにする。
仕事内容
JIA理事会は隔週土曜日14:00にJIAオフィス(2004年9月オープン)で開催された。JIA理事会は意思決定機関と執行機関を兼ねたものだった。
-原田燎太郎:ジェネラルマネージャー
-カン=サンミン:プロジェクトマネージャー
-フォン=ハオイン:プロジェクトコーディネーター
-G.Y. ワン:インフォメーションマネージャー
-ペニー=リー:広報マネージャー(2004年11月よりケルビン=フー)
-ツァイ=ハン:広報アシスタント
-吉田亮輔:広報アシスタント(2004年11月よりマイケル=マイ)
-ツァイ=ジエシャン(会計)
しかし、設立したてで経験の浅いJIA理事会はこれら上記の仕事をきちんと行うことができなかった。それぞれの仕事は広東・広西・雲南のワークキャンプのマネージメントが主だった:
-原田燎太郎:広州地区(2004年11月よりマイケル=マイ)
-カン=サンミン:雲南地区
-フォン=ハオイン:広西地区(ハオインは正式な手続きを経ず、JIA理事会を個人的理由で離れた。しかし、現在に至るまで正式な手続きは確立されていない。G.Y.と原田はハオインを引き継ぎ、2005年4月より原田が桂林地区を、G.Y.が南寧地区を担当)
-G.Y.ワン:湛江地区(2005年4月よりセブン=シエ)
-吉田亮輔:潮汕地区(2004年11月よりツァイ=ジエシャン)
実務開始
広州にいるJIA理事会の各メンバーはそれぞれの地域の情報を収集してJIA理事会に報告し、ディスカッションを経た後、各地にアドバイスなどをフィードバックした。ただ、理想的には、各地域がワークキャンプを自立的にマネージメントすることだ。
そこで各地域の担当者は「マネージャー」ではなく「連絡係」とする。しかし、各地域のキャンパーたちはまだまだ経験が浅く、事実上、連絡係はそれぞれの地域のマネージャーのようなものだった。そのため、「連絡係」たちはそれぞれの地域のキャンパーたちがワークキャンプや関連するプロジェクト(写真展、プレゼンテーション、ワークショップなど)を行うのを助けることや、共に行うことが仕事だった。
そうではあっても、JIA理事会は各地にワークキャンプ地域委員会を設立して地域の自立的発展を促した。地域委員会とは、その地域にあるいくつかのワークキャンプ団体の協力の場となる。
2004年9月にはJIA広州ワークキャンプ地域委員会が設立され、中山大学・広東商学院・曁南大学が加盟する。10月には雲南農業大学を中心としてJIA雲南委員会が設立され、2005年2月には湛江師範学院と広東海洋大学(当時湛江海洋大学)によってJIA湛江委員会が設立される。
HANDAの傘下へ
またJIAは2004年11月、HANDAのワークキャンプセクションとなる。その理由は:
a. 設立されたばかりのJIAは政府にNGO登録することはできないこと
b. キャンパーたちは活動を開始したばかりで、JIAのネットワーク全体の発展を考えることのできるシステムがまだできていなかったこと
c. 政府との関係づくりが進んでいないこと
d. 資金を獲得する方法の見通しも立たないこと
などがあった。このような問題に直面するJIAにとって、当面はHANDAの庇護の傘の下、徐々に発展することが望ましかった。
HANDAは当時すでに8年の歴史を持つ政府にNPO法人登録した団体だった。
組織図

問題点
JIA理事会は新しい理事を広州委員会のキャンパーの中から指名した。広州はキャンプの歴史が最も長く、他の地域に比べて経験もあったからだ。また広州にはオフィスがあることも関係している。
こうして広州委員会はJIA理事会と緊密に関わりながら活動し、発展の足を速めた。
こうして広州委員会からJIA理事会の理事が選ばれるという循環が生まれた。広州のみが発展し、他の地域のリーダー的存在になることが懸念されるが、もうひとつの思惑としては、広州でまず発展のモデルをつくり、それを他の地域に徐々に広げていこうということもある。
JIAの会則はJIAは意思決定機関と執行機関を兼ねるとしているが、執行機関はうまく機能しなかった。その理由は:
a. 無償でフルタイムスタッフをする人材の不足
b. 原田以外の、無償のスタッフはビジネスや学業などに携わっていたこと
c. メンバーは意思決定と執行を重複して担当していたため、チェック&バランスの機能が働かなかったこと
主な出来事
時期 |
場所 関係者 出来事
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2004年9月 |
広州 広州のキャンパー/JIA理事会 JIA広州ワークキャンプ地域委員会設立
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2004年10月 |
昆明 昆明のキャンパー/JIA理事会 JIA雲南ワークキャンプ地域委員会設立
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2004年11月 |
広州 HANDA/JIA理事会 JIAがHANDAのワークキャンプ部門となる合意
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2004年12月 |
広州 JIA理事会 ワークキャンプのコーディネーター要請トレーニング
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2005年2月 |
湛江 湛江のキャンパー/JIA理事会 JIA湛江ワークキャンプ地域委員会設立
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