[FIWC-C.COM] フレンズ国際ワークキャンプ中国 - FIWCの歴史

FIWC-中国ハンセン病快復村支援ワークキャンププロジェクト
中国ハンセン病支援ワークキャンプボランティア

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FIWCの歴史

FIWCの形成

第二次世界大戦直後の1945年、敗戦後の戦後処理という形で、日本でもワークキャンプが行われることとなりました。
そのキャンプは、American Friends Service Committee(AFSC)のフロイド・シェモーの提唱によって行われ、その活動は当初、極少数の若者によって行われていました。

しかしその後、AFSCが日本での活動のひとつとしてワークキャンプを採用し、1945年から50年にかけて、東京にAFSC日本支部が創設されました。 
その下に、学生を中心としたボランティアによって、日本ワークキャンプ委員会が組織された。そこで、日本で初めてワークキャンプが広がりを持ち始めるようになり、そのときにFriends International Work Camp(FIWC)がAFSCの内部組織として形成されていきました。

FIWCの独立

戦後復興という形で、外国から日本に齎されたワークキャンプという方法論が、施設や地域社会へ入り込めば入り込むほど、それは日本の社会制度と向き合うことを余儀なくしました。
そのような段階では、単に方法を模倣することや、その方法自体を目的化するレベルの活動はマニアックで場当たり的なものへと成り果てていくほかありませんでした。

ワークキャンプを日本社会での一つの社会運動として根付かせ為、集団としての明確な方向性が不可欠でした。
そのために独立は必然的なものであり、1960年、FIWC関東、名古屋、関西、広島の各委員会が経済的自立を果たすことで独立をしました。

FIWCのこれまでの活動と現在

独立後、FIWCは国内外を問わず、ハンセン病療養所、孤児収容施設、売春婦更正施設、身体障害者施設など、貧困や差別の社会問題の発生している現場へ出かけ、労働という手段を通して問題の解決を目指す団体として活動してきました。
1963年、ハンセン病快復者が宿泊施設の利用を拒否されたという事件が起こりました。
musubi.jpgそのことを知ったFIWC関西はメンバーに呼びかけ、奈良の大倭紫陽花邑から土地の提供を受けて、ハンセン病快復者と社会を結ぶセンターとして「交流の家」を建設を計画・立案。1964~1967年にかけて建設しました。

1969年には、大阪城公園でベ平連が中心になって開催した「反戦のための万国博」に参加。「らいの家」を建て、全国のハンセン病療養所の患者から寄せられた一千枚近くの葉書きを展示した。1990年代後半からは、海外のワークキャンプを組織する他団体とFIWCとの交流など、積極的な関係が持たれています。

FIWCは4つの支部で構成されており、関西、関東、広島、九州の四つの委員会が活動しています。
中国キャンプは、関東、関西、九州委員会が行っています。

各委員会の中国での活動はこちら
関東委員会 関西委員会 九州委員会

関係リンク

NPO法人交流の家

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モグネット

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FIWC中国キャンプ

FIWC中国キャンプとは、FIWC関東委員会、FIWC関西委員会、FIWC九州委員会がそれぞれ運営している中国ハンセン病快復者支援プロジェクト・ボランティア活動の総称です。

中国キャンプは2001年の広東省から始まり、2008年までに広西省、雲南省、湖南省の4省、10村にて、合計20回以上のワークキャンプを行い、のべ100人以上が参加しました。